≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(60)

私はとっさに、どうしたらいいか分かりませんでした。その場を離れようとしましたが、足が動きません。たとえ本当に逃げ出しても、彼らはすぐに追いつき、私を捕まえることでしょう。そうなれば、養母はきっと私のことを許してくれないはずです。

 そのときちょうど、養母は趙玉恒のそばに腰をかがめ、何やら小声で囁いていました。その瞬間、私は頭に閃きを感じ、二人がひそひそと何か話している隙に、急いで東の間から飛び出しました。

 そのとき、私は急に落ち着いた気分になりました。私はもう13歳で、4年生になっており、すでに「トンヤンシー」なるものが何であるのか知っていたし、謝家で仕事をしているときに、このことばがもつ恐怖と悲しさを知っていました。謝家の四女が逃げ出した一幕が私の脳裏に浮かびました。だからこそ、私もまたこの家を出なくてはなりません。

 当時、私には一つの考えしかありませんでした。今晩必ずこの家を離れよう。どんな土砂降りでもきっと出て行こう。今後は、永遠に帰らないようにしよう。ただ、私のことをあれこれ心配してくれている養父のことが気に掛かったので、出て行く前に声を掛けることにしました。

 外の暴風雨はだんだんと激しくなり、ピカッと光ったかと思うと、耳をつんざくような雷鳴が轟き渡り、空は真っ暗で、何も見えませんでした。さらには、雨が窓ガラスを激しくたたき、恐くて震えるほどでした。

 養父はオンドルの上に座り、タバコをくゆらせながら、外を見ていました。まるで私と同じく、暴風雨が治まれば、私を急いで逃がすことができるのにと、願っているかのようでした。養父は、養母がこっそりどんなことをしたか、少しも知りませんでした。

 私は西の間に入り、養父に声をかけてから逃げ出そうと考えていました。ところが、養母がすぐに東の間から追いかけて来て、私を引っ張って東の間に連れ戻そうとしました。私は断じて動こうとしませんでした。

 養母は力いっぱい私を引っ張りながら、罵りました。「あんたは何てろくでなしなの!せっかく幸せになれる場所を見つけてあげたのに、それに満足しないなんて、恩知らずもいいところだ!あんたを学校になんか行かせなければ良かった。ちょっと勉強しただけで偉そうに、こっちの言うことを聞かなくなるんだから。いつまで突っ張っていられることやら。今晩は、ここじゃなくあっちの間に行くんだよ…」。

 そう言うと、養母は私を東の間に引っ張り込み、大声で、「趙玉恒!こっちに来て!あんたのほうでこのろくでなしをおとなくしくさせて!」と叫びました。

 趙玉恒は養母が呼ぶのを聞きつけると、すぐにやって来ました。ただ、ランプの明かりが暗くて、顔がよく見えませんでした。しかし、彼は挑発的な口ぶりで、「お前を身請けするのに大金を払ったんだから、言うことを聞いてもらわなければ困る。何でも言われた通りにしろ!そうしたくないと言うなら、それでもいいが、金を返せ!元も子もなくすわけにはいかない!」

 趙玉恒がそう怒鳴ると、養母はお金を返せと言われるのを恐れ、彼を恐れるやら愛想を言うやらしました。そして、私をひどく罵りはじめました。養母のその態度に、私は却って何としてもこの家を離れようという決心がつきました。

 そこで、私は養母と趙玉恒が私から目をそらしている隙に逃げ出したのです。

 (続く)