伝染病は知能を持っている?どうすれば逃げられるのか?(上)【未解決ミステリー】

伝染病は人類文明の発展とともにあり、それによる死亡人数は戦争や飢饉よりも多いことが統計により示されています。人間はさまざまな伝染病を経験し、そのいくつかの奇妙な特徴に戸惑っています。例えば、ウイルスは人間の目には見えず、人間に致命的なダメージを与えられるものの、一部の人はその害を受けません。

アテナイの滅亡

例えば紀元前5世紀頃、古代ギリシアの覇権をめぐって、アテナイとスパルタによるペロポネソス戦争が始まりました。戦争2年目の紀元前430年、アテナイに突然、致命的な伝染病が発生し、短期間のうちに急速に広まり、アテナイの人口の約1/3が死亡したのです。

 

「古都の疫病」(1652年頃、ミハエル・スウェールツ作)紀元前430年に発生したアテナイの疫病を描いたものだと解釈する学者もいる。(パブリックドメイン)

 

しかし、不可解なのは、全員が伝染病のターゲットになったわけではないことです。たとえば哲学者のソクラテスは、この伝染病を体験して、それを防ぐことに成功したのです。

また、ペロポネソス戦争でアテナイ人に捕らえられたペロポネソス人も感染しませんでした。さらに奇妙なことに、紀元前426年末以降、何年もの間、猛威をふるっていたこの伝染病が、まるで無言の指令を受けたかのように、突如アテナイの街から姿を消したのです。

一体何がアテナイを襲い、なぜ選ばれたかのようにアテナイを襲ったのか、そして、なぜ突然消えたのか、これらの謎はいまだ解明されていません。
 

古代ローマ帝国の滅亡

かつてヨーロッパ、アジア、アフリカの3大陸にまたがり、世界的な野望を抱いていた帝国は、4つの大きな災いをきっかけに強盛から衰退へと向かい、ついには崩壊してしまったのです。

現代の科学者たちは、古代ローマ帝国を襲った伝染病は、腺ペスト、発疹チフス、天然痘などが挙げられると推定しています。最初の大流行の時、ローマ市では一日に1万人の死者が出たと記録されています。

「アシドドのペスト」(1630年頃、ニコラ・プッサン作:パブリックドメイン)

 

2回目の伝染病は16年間続き、ローマ帝国の人口の1/3にあたる500万人が死亡しました。第3回目の伝染病は20年近く猛威を振るい、ピーク時にはローマ市内で毎日5千人、総計2500万人が死亡しました。そして、第4回目の伝染病は未曾有の規模で、1年中どの季節にも発生し、何度も何度も流行を繰り返し、やがて収束すると、東ローマ帝国のコンスタンティノープルの人口の4割が死亡しました。

この4度にわたる大きな伝染病も謎に包まれています。例えば、一部感染しなかった人々が、翌年には伝染病にかかって亡くなったり、あるいは、感染しなかった人が、他の地域に逃げ込んだ直後に感染して亡くなったりと不思議な現象が起きていました。伝染病の前では、体の強い若者も、弱い女性や子供、老人も、お金持ちも、貧乏な人たちも皆同一視されます。しかし、迫害されていながらも、患者を助け続けていたキリスト教徒の身に伝染病は近づきませんでした。
 

ヨーロッパも被害甚大

中世ヨーロッパで発生した「黒死病」も、語るに堪えない伝染病です。ヨーロッパの人口の3分の1が失われ、さらには、この伝染病により、1350年から1400年の間、ヨーロッパ人の平均寿命が10年縮んだのです。

患者と接触したことのある人は、たとえ、その患者が亡くなった後、墓まで運んであげた人でさえも伝染を免れません。フィレンツェは、疫病に見舞われた船の乗組員の上陸禁止、40日間の船上隔離、「衛生条例」の宣伝など、できる限りの厳しい措置を講じたものの、結局被害を免れず、人口の8割が亡くなり、最も被害の大きかった都市となったのです。

 

「死の勝利」(1562年頃、ピーテル・ブリューゲル作)14世紀中頃にヨーロッパ全土を席巻した伝染病。(パブリックドメイン)

 

その後、黒死病は水陸両路でヨーロッパ中に広がり、ヨーロッパのほとんどの国が麻痺し、英仏間の百年戦争でさえも一時的に中止となりました。各国が途方に暮れていた1353年、黒死病は突然姿を消しました。

黒死病もアテナイや古代ローマ帝国の時と同様に奇妙な選択性を示しています。壊滅的な被害を受けた地域もあれば、全く被害を受けなかった地域もあります。患者と短時間接触しただけで死んでしまう人もいれば、死を覚悟で感染により亡くなった親族の遺体を抱き締めたのに感染しなかった人もいます。

これらの実例を見ると、伝染病は知能を持っている?もしくは何か目的があるかのようにみえるのです。
(つづく)

詳しくはEPOCH TVをご覧ください
https://www.epochtimes.jp/2022/07/110944.html

 

(翻訳編集:華山律)

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