宋の時代、湖州安吉(現在の浙江省)に沈持要という誠実で高潔な人物が住んでいた。紹興14年(西暦1144年)、沈持要は親戚の范彦輝を訪ねて都の臨安に行った。范彦輝は、国子監(最高学府)の試験官であった。親族は、沈が正直で誠実で、優れた才能を持っていることを知っていたので、彼を助けようと、今年の秋の試験を受けるよう申し入れた。
沈持要は名声や財産を気にしない人だったので試験を受けたくなかった。しかし、親戚はどうしても助けたいと言い、本人に内緒で受験のための手続きをすべて済ませ、湖州へ戻って現地で受験をするようにとお金を渡してくれたのだ。沈は、「どうしても試験を受けたくない。もし湖州まで戻って受験する気があるとしても、今からではもう遅い」と断った。沈の親戚達は本人が頑固に拒む為どうすることもできなかった。
その夜、寝て間も無くして、大きな背の高い神々がやってきて、「ここはお前の住むところではない、帰りなさい、さもなくばお前に害が及ぶぞ」と大きな声で叫ぶ夢を見たそうだ。夢から目覚めた沈は、すぐに体が重病にかかったような気持ちの悪さを感じた。
そこで、彼は召使に船を借りるよう申し付け、家に帰ることにした。当時は船の数が少なく、借りるのも大変だった。幸い、その船頭も安吉出身で、同郷のよしみで、安吉まで船を出すことに承諾した。沈は、親戚の范一家に助けられながら船に乗り込み、船が出発したとたん、彼の病気は嘘のように治った。
16日の朝、沈持要が船に乗って川の中間くらいにある呉輿を過ぎようとした時、岸辺に白衣の学生が何人か行き来しているのが見えた。昨日試験が行われたのだが、雨で試験用紙が破損し、交換が必要なため17日に変更されたというのだ。湖州地域の試験場は、湖州市の管轄である呉興県に設置されていた。
親戚は「受験日の変更は、神様が特別にあなたのために考えてくれたことだ」と言って、沈を祝福した。受験は必ず成功する!そこで、沈は親族に送られて湖州の試験場に行き、そのとおり一番の成績を獲得した。
その後、故郷の安吉で家族の面倒を見た後、首都の臨安に向かい、続けて(進士科挙)試験を受けた。
都に着くと、ある試験会場の監督を親戚である范彦輝が務めることを知り、疑われないようにと、別の会場で試験を受けることを願い出た。
今回は、数日間にわたる試験であった。試験会場に入ると、試験官たちは皆、とても厳しかった。唯1人だけ「3年に1度の試験だから、丁寧に書きなさい」と、優しく声をかけてくれた。それを聞くと、体が温かくなってきてリラックスできたので、丁寧に論文を書いていった。
そして、論文を提出しようとすると、その男が再びやってきて、「もう一度読んでみなさい!」と言った。再び座って紙をよく見ると、2か所の誤字があり、すぐに直した。試験が終わると、沈持要の名は確かに成績優秀者の一覧に選ばれ、見事に合格した。
沈が試験後、感謝の気持ちを伝えようと、自分に優しくしてくれた試験官を探すと誰もその試験官のことを知る者はいなかった。試験官も、神だったのだ!
そういえば、いままでの出来事を振り返ってみると、沈は本当に神様に助けられたと思った。
夢の中の神々が早く家に帰るようにと促したのは、帰る途中、呉輿の試験場を通るから船頭が熱心に船を漕いでくれたのも、神々の助けだった。
白衣を着た学生たちが行き来していたのは、試験の延期を知らせなければならないからで、試験官も、論文を丁寧に書き、よく吟味するようにと促した。
すべて神々の慈悲深い配慮によって行われたのだ。沈は自分の身に起きた全ての事を深く心に刻み、神々に対する感謝の気持ちが尽きなかったという。
(翻訳・金水静)
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。