中国で言う餃子は普通、焼き餃子ではなく、水餃子のことを指している。
三国時代の魏の張揖著『広雅』によると、当時、月のような型で「饂飩」(ワンタン)と呼ばれる食品があり、それは今の餃子に似ているものである。南北朝時代になると、この「饂飩」が「天下に広がった」食品となった。
研究によると、当時、茹でた餃子だけを食べるのではなく、お湯といっしょに食器に盛って食べたようであった。そのようなわけで、当時の餃子は「饂飩」と呼ばれたのである。今でも、中国の河南省や陜西省あたりでは餃子を食べるときに、パセリ、ネギ、ニラ、干しエビなどと調味料を餃子湯に入れていっしょに食べるのである。
唐の時代になると、ゆでた餃子を食器に盛って食べるようになり、形も今のようなものになったという。
宋の時代には、餃子は「角子」と言われ、これは後の「餃子」の語源であったという。この書き方は元、明、清の各時代にも見られる。
清の時代になると、餃子の名称はより多くなったが、それは餃子の普及によって地域なりの呼称ができたせいだろうと思われる。
大みそかの夜に餃子を食べるという風習がいつから始まったのかは、なお不明である。史書によると、少なくとも明・清時代にはすでに定着していた。
(翻訳編集・小林)
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