【大紀元日本5月7日】
本文は、私が知り合った先天道を修めた平先生(500歳)の経歴を記録したもので、文章はすべて記憶によるものである。何人かの人の記憶を統合したもの、または私と平先生の間であった途切れ途切れのいくつかの対話を元に書いたものであるため、文の繋がりがよくないと感じるところもあると思われる。私はそれらを一つに統合し、論理的な文脈を整えるため、想像を使った文字を加える場合があったが、事実を離れた記述はない。平先生との経験から、私は世の中の多くの出来事は人が思っているものとはまったく違うということが分かった。本文を読んだ後、多くの人は考え方が変わると思う。
十七、人類
平先生の話はいつも人を驚かせた。しかし、なぜ人々はそれらの阿修羅を見たことがないのだろうか。それらは人類に対していったい何をするつもりなのかと平先生に尋ねた。
平先生は、それらと会った人は少なくないと答えた。ひょっとすると、誰もが目にしたことがあるかもしれない。しかし、誰もそれらを見破ることはできないといった。平先生は、私たちが道中でよく会う見慣れない人たちは、いったいどこから来たのか、誰なのか分かるかと聞いた。私は頭を振った。続いて彼は、町の中や、街頭などで会う人たちは誰なのか、どこから来たのか、どこへ行くのか知っているかと聞いてきた。私はまた頭を振った。
平先生は、人間社会の全てが「人」であるとは限らないと言った。私は驚き、人でなければ何なのかと尋ねた。
平先生によると、彼が知っている限りでは、4種類いるという。第一種は、本当の凡人である。これは詳しく説明する必要がない。第二種は、動物である。
私は、なぜ動物なのかと聞いた。平先生は、私たちが途中で会った妖狐がまさにこの種に属すると言った。それらは霊気を得て、周天が開かれ妖怪となる。そして、心が正しくない悪い人に憑いて、憑き物となる。時間が経つと、その人の精気を吸い取り、人間の形を形成するか、直接元神(魂)を追い払い、泥丸に潜り込んでその人の体を奪ってしまう。見た目では人間に見えるが、もう人間ではないのだと言った。
私は、なぜそれらは自ら修練せず、人間に憑いて人間を害するのかと聞いた。平先生によると、万物の霊長である人間は、三界内で最も完璧な構造と見られる人体を有している。この人体を持つことから修練して神になることができるが、動物には体に何等かの欠陥があり、修行に必要な構造が数多く不足しているため、修練しても神になることはできない。もし修練に成功したとしても、魔になることしかできず、宇宙を破壊するので、それらが霊気を得てしまった場合は天雷に落雷され、殺されるのだという。そのため、それらは心がけが悪い人を探し、百方手を尽くしてその人に憑き、人の形を得て修行しようとするのだという。それらは、表面上では人を助けて、病気を治してくれたり、災難を免れたり、金を儲けるようにしてくれるが、実はとても悪いものである。それらが、人に表面上の利益を得るようにしてあげるのは、ほかでもなく、人の心を迷わせ、人体に憑いて人体の精気を吸い取るためであるというのだ。
平先生は、古来動物が人に憑くことは珍しくないが、多くはなかったと言った。しかし、今日になって天象が異常に乱れ、それらは大量に人間社会を乱し、至るところで見かけられる。人類はそれらを神霊と見なし、引いては家に狐やイタチの位牌まで供えている。これは、自ら災いを招くともいえるが、それをやった人自身は意識していないのだ。
続いて、平先生は、第三種は阿修羅であると言った。私が、これらの阿修羅が人間の空間に入り込んでくるのは、何の目的であるのかと聞いた。彼は、それらの目的は動物と同じだが、阿修羅は動物よりもさらに凶悪で、数量も大きく上回っていると言った。それらは強行して入ってきたが、それらが現れる時期がまだ到来していないため、人々はそれを感じることができないというのだ。平先生によると、これらの阿修羅は、偽の人間の皮を作ることができ、その中に入り込むと、見た目は本当の人間と変わりがなく、町の中を歩いても、人はそれを見破ることができないのだという。
私は恐れて、「頭上三尺に神霊あり」という言葉もあるが、なぜ神霊がいるのに、それを制しないのかと尋ねた。
平先生は、これも天意であって、天象の変化に伴って起きたことであると言った。言い換えれば、人類が世の中に迷いすぎて、心が魔変して招いたことであるという。とはいえ、多くの神霊はそれに関与することができない。多くのことに影響を与えるからである。まるで毛糸のセーターの糸口が引っ張られると、セーター全体が解体されるのと同じで、人間側が誰もその責任を負えていないので、彼らの威徳でも及ばないのである。そのため、彼らはただ特定の人たちが傷つけられないように見守っているだけであって、全部の人を見守るには力が足りないのだという。平先生は、人類が害されるのは見たくないが、自分の力では能力の範囲を超えていると話した。私一人だけを守るのも、時には力が不足しているのだというのだ。私は悲しく思い、では、人類を救う方法は、ほかにはないのか、これらの問題を解決できる、更に高い次元の神霊はいないのかと聞いた。
平先生は私を見て、やさしく笑いながら、これらのことを解決できるのは、ただ一人の方、私の師父であると話した。これは宇宙の衆生が待っていることでもあるというのだ。そして、私は今後多くの難に遭うが、それを乗り越えながら、私の使命を果たすようになるのだという。これらのことは、私が師父と会えたら全部分かるようになるので、私に今できることは、畏敬の心を抱いて、辛抱強く待つことだけであるという。私は平先生を見て、真剣にうなずいた。
引き続き、平先生は第4種の人は、「神人」であると言った。私は、平先生のような人がこの類に属するのではないかと聞いた。平先生は頷き、そのような人は極めて少なく、一般的には世間には関わらず、人類の生活にも干渉しないのだと言った。彼がいう「神人」は、本当の神を言う。多くの三界外の次元の高い神は、世間で人体をもっているが、真身(※)は三界外にあるのだという。彼らの見た目は普通の人間と全く同じで人に気づかれないため、一挙一動はすべて凡人のようであるという。彼らは天命を負い、世の中でやりとげることがあるのだという。
少し間をあけて、平先生は話を続けた。なので、私たちは身の回りの人々に善を持ってやさしく接しなければならず、街道で会った見慣れぬ人に対しても善をもって応対しないといけないのだと言った。なぜなら、私たちは彼らを見破ることができないからである。全ての人に善もって接し、悪縁を結ばないように気をつけないといけないのだと言った。
私はうなずいた。平先生は私に、どのような人が一番かわいそうなのかと聞いた。私は少し考えた後、乞食や「豚人」などが最も助けが必要な人たちではないかと答えた。平先生は頭を振り、実はそのような人は、本当にかわいそうな人ではないと言った。ある乞食たちは、「神人」が装った者もあり、彼らは街角の道の端にしゃがんで、かわいそうに見えるが、彼らにとっては人類こそかわいそうであるというのだ。平先生は少し間をあけて、実は、一番可哀そうな人は、何も恐れない人だと話した。彼らは天地をも畏れず、何も信じないため、何でもやるのだと言った。これらこそ最も可哀相な生命で、彼らには未来も、望みもないのだと言った。
私は平先生の話を心に刻んだ。そして、どのようにすれば、世間の中でこれら異なる種類の「人」を分別することができるのかと聞いた。彼は、人の肉眼では見分けることができないのだと言った。しかし、修行して一定の境界に達した人には見えるし、彼らの脈に沿って、来源を捜し出すことができるのだと言った。
また平先生は、人には「奇経八脈」、「三魂七魂」、「丹田泥丸」など、一連の機制があるが、人間ではないそれらには、これらの完備している機制がなく、いつも何かが足りないのだという。この点からも、人類であるかどうかは見分けることができる。憑き物に属している動物は、一目でどんな動物なのかが分かる。また阿修羅も、特殊な脈でそれらの世界と繋がっているので、どの世界から来たのかすぐ分かる。しかし、最も見わけ難いのが「神人」であって、どこから来たのかはぜんぜん見えないのだという。彼らは次元が極めて高いため、彼らの神脈と来源はまったく見えないのだという。見えるのは、彼らの身体が極めて純浄で、透明で、人間の汚れがないだけであるという。平先生は、これらのことは上善天真に教えてもらったと言った。
私は驚き、うなずきながら、現代の人類はこんなに複雑で危険が伴うのかと言った。平先生は、これだけに留まらず、人間には知られていない地下の深いところにも、地下の世界があるのだと言った。その世界と人類の世界の間にはいくつかの通路があって、彼らはずっと極めて少ない、現世と断絶して生きている人類の人種と連絡を取っていると言った。彼らも人類の世界に注目しているが、人類に干渉はしないのだと言った。時には、彼らの地下世界の怪獣が、偶然にある通路や水道を通じて、陸地まで上がってくる場合もあるという。
※真身-人間の肉体のからだではない、他の空間に現れる本当のからだ。
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