【大紀元日本6月5日】中国貴州省従江県城付近に、今なお自分の民族の習慣を守っているミャオ族部落、岜沙がある。
岜沙(basha)は中国貴州東南自治州の従江県城から7・5キロほどのところにあり、ミャオ族のことばでは「草木が生い茂る地方」という意味である。
最後の銃士部落
銃士部落
岜沙は大昔からミャオ族系に属している。従江県から更に遠くて辺鄙なところで住んでいるトンの郷と苗寨などは、大いに外来文明の影響を受けてきたが、岜沙は依然として古い風習を守っていて、「最後の銃士部落」と呼ばれている。
4千年前、ミャオ族の祖先蚩尤(しゆう)が戦いに敗れ、大衆を率いて黄河下流から西の方向に移った際、先頭部隊の9黎部落の一つが岜沙に定着したと言う説がある。貴州の黔(けん)東南ミャオ族トン族自治州は、貴州で民族風情と民族文化を完璧に保存した地区である。中国で唯一、火薬銃を肌身から離さない民族で、彼らの住まいは、自治州内の従江県境界内丙妹鎮月亮山麓の広大なジャングルの中に分布している。
岜沙部落の入り口
この18平方キロメートルの素朴で静謐な岜沙部落に入ると、近代のユートピアに入ったように感じられ、目の前の安寧で穏やかな美しい風景に陶酔してしまう。
谷間の静かな岜沙部落
谷間の静かな岜沙部落
ここのミャオ族の人たちは濃紺の衣を纏い、古風で質朴、高床の木楼に住んでいる。木楼の建築技術は独特で、鉄釘、鉄錨などはまったく使わない。目を引くのは、14歳以上の男子はすべて火薬銃と腰刀を身に着けていることだ。昔は身と郷里を守るためだったが、今は習慣となり、岜沙では「銃を体から下ろしては駄目」と言われている。その上、岜沙で腰刀の有無が英雄と臆病を判断する基準だと言う。
純朴な民族
岜沙人は今も農耕と狩猟が主要な生活様式で、衣服もすべて自分で織った物である。女性の服装は質朴で、黒色を主とし、大部分が黒い前ボタン式の上着とアコーディオンプリーツ・ミニスカートを身に着け、ゲートルを巻く。彼らの襟ぐり、袖口、ゲートルなどはすべて刺繍されており、胸元には数本の銀のアクセサリーを掛ける。
岜沙女性の下着
銃士部落の女性
雨の中を走っている岜沙の男の子たち
銃士部落の女の子たち
木の神を礼拝
木の神を礼拝している岜沙人
岜沙人は昔から木を崇拝し、最も盛大な祭祀の儀式が木の神の礼拝である。岜沙人は「木にはすべて霊魂があって、古い木は神性が強い」と思っている。そのため、各村の風水の木が岜沙人の崇める対象となり、山の頂の木が岜沙の神木と見なされている。
成人儀式
成人儀式で髪を剃る岜沙人男性
伝統的な成人儀式
岜沙の男は古代部落の武士のような服装を身につけ、特別なことは彼らの頭飾りである。岜沙の男は生まれてから、気軽に髪を洗ったり、結ったり、剃ったりしてはいけない。16歳になって成人の儀式を行い、その儀式で頭のてっぺんの周囲の髪をすべて剃られ、てっぺんの髪だけを残して髷を引くようにする。
岜沙人の精神首領=鬼師
鬼師は岜沙ミャオ族の精神首領で、岜沙伝統文化の主要な伝承者である。岜沙ミャオ族は他のミャオ族の部落と違い、彼らは自分の言語はあるが文字がなく、彼らの文化は主に鬼師の口から伝わって来ている。鬼師は岜沙で地位がずいぶん高く、彼らは岜沙ミャオ族部落の精神を支配し、同時に岜沙部落の文化も支配する。
岜沙人の人生観
岜沙の男が死者を運ぶ
岜沙人は「生命の誕生と死亡は輪廻転生の過程であり、人の誕生は、祖先の魂が肉体の形で人間世界に下ることで、人の死亡は、また魂が遠い祖先の所に帰って行っただけだ」と思っている。
収穫しても脱穀しない習慣
収穫した後、乾かしている稲
収穫した後、乾かしている稲
岜沙人は今でも現代の脱穀機を使わない民族である。収穫してきた稲藁は稲藁枠に掛けて乾かし、ご飯を作る時に稲藁を枠から下ろし、原始的な方法を使って、足で石臼を踏んで米を作る。
現代文明の侵入
芦笙祭への出演
最近、この岜沙ミャオ族部落も現地政府の経済政策の下で、だんだん現代文明の影響を受けるようになった。メディアによる過度の紹介により大人気の観光名所となり、多くの観光客が訪れ、現代文明が静かであった岜沙部落を攻撃している。村の中に現代風の建物が現われ、壁には観光地図が張ってあり、テレビのアンテナもあちこちに見える。もとの山中苗寨の扉は近代的な扉に変わり、岜沙の人も入場券を売って、金を稼ぎ始めた。
1年に一回の芦笙祭も今は1日に一回となり、絶えず観光客のために演奏し、文化的演出に変化し、伝統が経済の手段となってしまった。
おそらく、だんだんとその神秘的な色彩と伝統文化を失っていくのだろう。
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