【大紀元日本5月8日】ゴールデンウィークは全国的に好天に恵まれ、太公望にとっては腕がむずむずしたのではないでしょうか。
夜、父親が漕ぐ小船で沖合に出かけ、漁火を煌々と焚いてイカを釣る。手に持つテグスがぐいぐいと引き込まれ、子供にとってはイカとの格闘。
リールで沖合まで投げた餌を少しずつ手繰り寄せているうちに、あたりがくる。逃げられないようにすばやく巻き上げてみれば、形のいいキスが上がり、その場で焼いて食べる。
学校帰りに、浜小屋に隠しておいた自作の釣竿を取り出し、フナムシを餌に、岩陰に糸を垂れる。カサゴ(別名:ガシラ、ホゴ)が5、6匹釣れて、それが晩ご飯の食卓に。
子供のころの思い出は、山や海で遊んだことばかりです。
今は釣り人のことを一様に太公望と呼んでいますが、私がこのことばでイメージするのは、蓑と笠を身に着け、大きな岩の上から一人静かに釣り糸を垂れるおじいさん。中国の水墨画の世界です。
「太公望」ということばは、次の故事に由来します。
周の西伯(後の文王)が猟に出かける前に占いをしてもらったところ、今日の獲物は「龍でも虎でも熊でもなく、覇王を補佐する人物」だと出ました。果たして、西伯は渭水(いすい)のほとりで釣り糸を垂れる老人に出会い、話をしてみると、とても優れた人物でした。
そこで、西伯は「私の太公(祖父)が、『聖人が周に来て、周はその人のおかげで栄える』と言っていましたが、あなたが正にその人です。太公があなたを随分長いこと待ち望んでいました」と言い、この老人を「太公望」と名付けました。
太公望はその後、西伯とその子の武王を助けて善政を行い、その功によって斉に封ぜられました。
(『史記』斉太公世家より)
それ以来、釣りをする人のことを太公望と呼ぶようになったということです。
(瀬戸)
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