盲人の中国人女性 4カ国語精通、米有名大学に合格

【大紀元日本7月29日】ある盲人の中国人女性は、優秀な陸上選手であるが、4カ国語を流暢に話せ、複数の米国有名大学に合格した。その成功の秘訣は何だろうか。

今年23歳の呉晶(ウ ジン)さんは、中国江蘇省泰興黄橋の出身。1歳あまりのときに失明した彼女は、超人の忍耐力と自信を頼りに、これまでに中国国内とアジアの障害者スポーツ大会で計14個の金メダルを獲得した。2007年6月、呉さんは米国のスタンフォード大学、ハーバード大学、エール大学三校の入学試験に合格。彼女は4カ国語を流暢に話せ、今はスウェーデンの大学に在学、同国の盲人協会の理事に当選したばかり。

呉さんは今までの自分の生い立ちについて、次のように紹介した。

生まれて15ヶ月のときに、彼女は網膜腫瘍を患い、突然失明した。しかし、祖母の無意識に話したある一言が彼女の人生を変えた。反抗から努力へ、次第に自信が生まれたという。

彼女が6、7歳の頃、ある日、彼女を寵愛する祖母が、「あなたの目が見えないから、将来は人に迷惑をかけるでしょう」と彼女に話した。この言葉は彼女の心を深く傷つけた。強い反抗心が生じた彼女だったが、「目は見えないが、私には両手があり、大脳があり、耳があり、絶対に人の荷物にはならない。私は自立できる人間になる、人を助ける人間になってみせる」と心に決めた。

7歳のときに、呉さんは現地の盲学校に入学。14歳で、短距離走の才能が認められて南京市の盲学校に入学した。ある日の訓練のとき、監督は彼女に、規定の時間内にグランドを8周走ることを命じた。1周でも時間が過ぎれば、最初からやり直すという。3周目のときに、彼女は脱力しそうになり、足が止まり嘔吐し出した。しかし、監督は彼女に構うどころか、「成功したければ、オリンピックに参加したければ、他人の十倍、百倍の努力を費やさなければならない」と話した。

「私は必ず成功する」 この信念のもと、彼女はたちまち立ち直った。歯を食いしばって再び走り出し、最後には8周を完走した。このような努力が功を奏した。その後、呉さんは中国国内とアジア障害者スポーツ大会で計14個の金メダルを獲得した。

2002年、呉さんは英語を勉強すると決めた。しかし、現地では、視覚障害者を受け入れる訓練校はない。彼女は英語のラジオ放送を頼りに独学で英語の勉強を始めた。2005年6月、彼女は厳しい試験を受けて、素晴らしい成績で南京外国語学校に入学し、同校設立から42年間で、初の盲学生となった。

2006年の夏休み、呉さんはスウェーデンの障害者協会に訪問したいと打診したところ、すぐ招待状が送られて来た。渡航と滞在費用の捻出に困った彼女は、スポンサー探しに思いついた。そして、南京市内のあるショッピングセンターの経営者に援助を求める書簡を書き、自らその会社を訪れて受付に託した。数日後、彼女のもとに一本の電話がかかってきた。彼女の生い立ちに感動したその経営者が、スウェーデン行きの費用を全額負担すると承諾したのだ。そして、呉さんは一人スウェーデンに旅立った。

現在、呉さんは同国のストックホルム大学の2年生。中国語のほか、英語、スペイン語、スウェーデン語に精通。優秀な彼女には白馬の王子が現れ、すでにスウェーデン人の青年と婚約したという。

呉さん曰く、自分の最大の富は自信である。「私を盲人にした神に感謝します。おかげで心で世界に触れることができ、頑として自分の道を切り開くことができました」

(翻訳編集・叶子)