ファンタジー:個人タクシー「金遁雲」の冒険独白(6-1)

【大紀元日本7月5日】吾味博士との一件が解決した後も、これが縁で、ふと故郷の中国が恋しくなった時に、田園調布の「瀟洒な日本邸宅」にある博士宅を訪れ、話し相手になってもらえるようになった。「七夕」の夕立が上がった頃、茶の間で手土産のスイカを齧りながら、博士と差し向かいに座っていると、ちょうどTVでは、馬鹿縞学界というところの大先生が、「・・・今年の日本経済の運勢は・・・」などとやっている。私は、易はよく知らないが、筮竹の構え初一発で、それが当たるか否かが分かる。「だめだな・・これは・・」と私が呟くと、「・・ほう、どうして分かる?」と先生が聞いてくるので、「・・・筮竹の一本一本に気が通っていません・・・この人は駄目だな・・」と言うと、「・・今日はね、私の長年の囲友達が訪ねて来るんだ・・・それがまた変わっていてね・・」と言って丸眼鏡の奥の目を嬉しそうに細めた。

しばらくして、先生宅の玄関先に年代モノの中古車がキキーと軋むようにして止まり、書生の青年がドアを開けると、中から90歳余の小柄な老人が降りてきた。それにしても全身から漂う柔和な魂の光は、常人のそれではない。といっても私のような修煉者でもないようだ。五味博士が「・・・よう久しぶりだな・・今晩は先般の借りを返すぞ・・あっと、こちらは私が世話になった張君だ・・なかなか有望な青年でね・・中国の不思議な技を使うんだ・・」と切り出すと、老人は静かに微笑んで私を一瞥し、「こんばんは・・・乾(いぬい)・・坤(こん)です。はじめまして・・」と深々とお辞儀をして挨拶した。

乾老人は、茶の間に上がると、私をじっと静かに見つめた。すると、蒸し暑くて開け放した窓から、クワガタが一匹「ブーン」といって飛んできて私の上着に留まった。老人は何を得心したのか、「・・・君は今まさに天地否だが・・その後に雷火豊・・・一時的に溝に嵌るが、思わぬところから天佑が来る・・それは巽為風の人だ・・気をつけていれば分かる。それを逃してはいけない・・その後に風水換になるので、一大転機を迎えるだろう・・しかし・・」、私は「・・しかし、何です!?」と聞いてみたら、「・・顔に泥を塗るような屈辱を味わうだろう・・近いうちに」と言って老人は笑った。

私には易の心得はないが、何でも断定的に自身タップリに言い放つこの老人に段々と腹が立ってきた。「・・私はね・・中国の一番偉い神様から、村八分にされたんです・・これが屈辱でなくて何でしょうか?もう泥を被っていますよ!!・・」私がむくれていると、吾味博士はそそくさと台所に行って、昆布茶と煮干を二人前もってきた。そして、汚い押入れから碁盤を引っ張り出すと、さっそく「いざ、鎌倉!!」と洒落て、乾老人と囲碁を始めた。私は二人が熱中しないうちにと、「・・ところで乾先生、先生は何で筮竹を使わないのですか?」と釜を掛けてみた。

すると・・「私の父は・・実は中国人なんだ。姓は、邵と言った。南京の出身だったが、横浜の親戚を頼って日本に亡命してね・・乾姓の私の母と日本で結婚して帰化したんだが・・我が家には易のスパルタ教育があってね・・」、碁盤を見ると、五味博士が先に九目を置いているので、乾老人の方がさらに上手なのだろう・・「私は算木を玩具にして育ったんだ・・長じるに及んで勿論筮竹もやったんだが、ある時に太極の理論が見えてきてね・・時間と位相との関係が易なんだと分かったんだ・・」、何を言っているのか私には判然としない。「それにしても、君は運勢がすごいスピードでコロコロ変わるが、人なのか神なのか・・それとも私が既にモウロクしたのか?」ハハハと言って笑った。

それにしてもこの二人の老人、歯が丈夫なのか、硬い煮干を齧ったり舐めたりしながら、昆布茶をすすって碁に興じている。何か私は、書生扱いされたような気がしてますます腹が立ち、憤懣やる方ないといった感じで「失礼します」と足早にその場を退却することにした。ところが、玄関のところが一段高くなっているのに、冷静さを失った私はこれに気が付かず、躓いて転び、泥水の中に顔ごと突っ込んでしまった。「・・・ああ、顔中が泥だらけだ・・・全く最悪だ・・・」、すると斜め上からすっとハンカチが差し出されてきた。

ふと見やると、それは乾老人を送ってきた書生だった。「・・・張先生ですね・・私は乾の書生で小森と言います・・先生の噂はかねがね伺っております・・」。それにしても何と古い車だろうか。70年代のニッセン・グリーンバードだ。もう部品もない年代ものだが、やはり乾老人も物持ちはいい方らしい。この書生も書生だ。この暑いのに上下詰襟のいでたちだ。私が差し出されたハンカチで顔の泥を拭いながら「・・君は、国士なのか?」と聞くと、「・・・はい、私は日本国のために一命を捧げる覚悟であります・・」という。

本来なら忙しくて相手をする余裕すらないのだが、国士というものは何やら憎めない。それは、国の神霊が、その魂を護っているからだ。私が、「・・・君は、まだ小さいよ・・僕は、極東のために一命を捧げる覚悟だからな!」と言うと、小森君は顔色を硬直させ、「・・・わ、分かりました。私も、極東のために一命を捧げます・・」という。私がさらに、「・・君は、まだ小さいよ。私は、ユーラシア大陸全体に一命を捧げるからね!」というと更に、「私もです!」という。私が更に「・・全世界のために・・」というと、「私も!」という。私が、「太陽系のために・・」というと、小森君も「うん!うん!」と苦しそうに相槌をつきながら「私も!」と食い下がってくる。私がさらに「では、この宇宙全体のために・・」というと、小森君はさらに死にそうな顔をしながら、「根性で・・私も・・」という。

私はここで一息入れ、「それが中道だ!小森君、日本に籠りっきりでは駄目だよ・・」と言って去ろうとすると、「待ってください!」と引き留められた。「今、乾先生と吾味先生が打っている碁は、常人のそれではありません。昔、中国の堯とか舜とか言った時代に皇帝がやっていた形式だそうです。もうすこし見てから帰ってください」と懇願するので、私は再び先生宅の茶の間に入って碁を観戦することにした。局面は、乾先生が劣勢を跳ね返し、吾味先生の石を隅で追い詰めているところだ。

「・・・うーん、日本経済は底を打っている様子なのだが、なかなか日の目を見ない・・」と吾味先生。「・・・坎為水に腰まではまった者は、容易に抜け出せるものではない・・」と乾先生。「・・・中南米の政治経済はなかなか安定しない・・」「・・火水未済では何事も成就せずじゃ・・」「・・・米国の経済はあいも変わらず好調だ・・」「・・世界の警察だ。火風鼎であってもおかしくはあるまい・・」、しかし一体全体これで会話が成立しているのか、それとも「達人は、達人を知る」の境地なのであろうか?

結局勝負は、中押し勝ちで乾先生が逆転勝ちした。乾先生は、「・・では、お邪魔しました。おやすみなさい」と礼を言って、吾味先生宅の玄関を出た。すると、少しして書生の小森君が戻ってきて、「すみませーん!張先生、バッテリーが上がってしまったんですけど、後ろから広東号で押してくれませんか?」というので、「・・広東じゃない!キントンだ!」といって快諾した。小森君が、「・・この中国車は何馬力ですか?」と聞くので、「20000000天界力だ!」と真顔で答えると、小森君はひきつった笑いを浮かべた。金遁雲で、年代ものの車を後ろから押してやると、やがて「プルプルプル・・ブブブブー」といってエンジンが掛かり、乾先生らは自由が丘方面へと闇夜の中に消えていった。