大紀元時報
トップ ≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-
著者の母(写真・著者提供)
2008.01.24
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(9)「裏切られた期待」

大人の人にとって「何とかして生きていく」ということが何を意味しているのか、8歳の私には分かりませんでしたが、私たちが中国の辺鄙な田舎に来ていることは確かでした。そ...

1944年3月、中国へ赴く直前の「長嶺八丈開拓団」=一番右側に立っている女の子が当時8歳の著者、その隣に弟を抱いた母(写真・著者提供)
2008.01.21
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(8) 「裏切られた期待と開拓団での生活」

第二章 裏切られた期待と開拓団での生活  私たちがバスから降りたとき、目に飛び込んできたのは、一面の荒れ果てた山と野原でした。3月の黒龍江省はまだとても寒く、地...

1944年3月、中国へ赴く直前の「長嶺八丈開拓団」=一番右側に立っている女の子が当時8歳の著者、その隣に弟を抱いた母(写真・著者提供)
2008.01.18
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(7)

私たちは、羅津市を離れてからは、暴風雨に遭うこともなく、好天に恵まれ、さらに2日間船旅が続きました。

著者の父(写真・著者提供)
2008.01.16
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(6)

私たちが父と一緒に船に戻ったとき、母はもう弟の力を寝かしつけ、みんなの布団を敷いてくれていました。しかし、私はもう全く眠くありませんでした。おそらく、ここ数日間、...

著者の父(写真・著者提供)
2008.01.14
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(5)

私たちが中国へ旅立つ前、父は祖母の家へ行って、中国行きについて相談しました。祖母は、父が家族全員を連れて行くことに反対でした。父は祖母にとって一人息子で、その上祖...

著者の母(写真・著者提供)
2008.01.14
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(4)

この時、乗客の皆は船を降りて上陸する準備をしていましたが、母は私が見当たらないのに気が付くと、あわてて至る所を探しました。母が呼んでいるのを聞きつけて、私はすぐさ...

著者の母(写真・著者提供)
2008.01.09
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(3)

この結末を聞いて、私はとてもほっとしました。母は私に、「みんなが互いに助け合い、励まし合えば、どんな困難をも克服できる勇気と自信が生まれる。そうすれば、きっといい...

1944年3月、中国へ赴く直前の「長嶺八丈開拓団」=一番右側に立っている女の子が当時8歳の著者、その隣に弟を抱いた母(写真・著者提供)
2008.01.05
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(2)

第一章  中国への旅立ちと期待 1944年3月、8歳のとき、私は両親と一緒に新潟港を出発し、日本海を西へ向かって中国へ旅立ちました。それが自分の運命に、そして一家...

1944年3月、中国へ赴く直前の「長嶺八丈開拓団」=一番右側に立っている女の子が当時8歳の著者(写真・著者提供)
2008.01.03
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(1)

はじめに: もし私が依然、普通の人と同じ考え方であったなら、八歳のときに家族と生き別れ、死に別れて以来、数十年にわたって心の中に鬱積しつづけた傷を解きほぐすことは...

^