大紀元時報
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≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-
2008.06.18
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(39)「あわや井戸の中へ」

私の家は王喜蘭の屋敷の西の棟にありました。棟と棟は繋がっていましたが、それぞれに仕切られた庭がありました。

2008.06.12
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(38)「日本人妻との出会い」

私が沙蘭鎮の劉家に連れてこられてからほんの二年間で、新富村で二度引越しし、長安村でもまた二度引っ越しました。 

2008.06.06
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(37)「二度目の引っ越し」

二度目の引っ越し ほどなくして、何が原因だったのか、養母が大家さんの親戚と喧嘩をしました。養母は、初めはただ口やかましく罵っているだけでしたが、後に手を出しました...

2008.05.31
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(36)「帰国の望みが断たれて…」

そんなとき、私はよく薄暗い自分の部屋で考えました。養母が私にこんなにも酷い仕打ちをするのなら、いっそのこと、ここを離れた方がいいのではないかしら?しかし、いったい...

2008.05.25
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(35)「頭に大怪我」

ある日、王喜杉が外の間に出て来て、使用済みの器具を洗っていました。彼が洗っている小さな柄杓にはまだ茶色い水が残っており、それを注射器に吸い込むと、ヘラヘラと笑いな...

2008.05.20
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(34)「引っ越し」

養父が去ってから ほどなくして養父の足はよくなり、家を離れることになりました。私は養父に家にいてほしいと思いました。

2008.05.17
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(33)「近所の子供たちと過ごした楽しい日々」

どうであれ、養母が不在であった数日は、私はとても楽しくとても自由で、私と弟の趙全有は中庭で、街で見たヤンガ隊の真似をして、自分たちでも踊ってみました。

2008.05.13
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(32)「慈愛に満ちた養父」

私は、もしかしたら養父は私を気に入ってくれないかもしれないと、心中、さらに不安になりました。

2008.05.04
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(31)「血だらけで担ぎ込まれた養父」

私と弟が沙蘭鎮に来てからはや数カ月が過ぎ、私たちは中国語が話せるようになりました。ある日、我が家に二人の軍服を着た若い男の人が、何やら入った二つの麻袋を持ってやっ...

2008.04.30
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(30)「『お馬鹿さん』と呼ばれ…」

ある日、王潔茹がそっと私に教えてくれました。西院に靴の修繕職人がいて、その家に日本女性がいるというのです。そこで、私は母と二人の弟の消息を何か聞き出せるのではない...

2008.04.24
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(29)

私たちのこの長屋には、西棟の北の間にもう一世帯住んでいました。独身の中年男性で、私は「党智」おじさんと叫んでいました。彼は、趙源家の親戚で、関内の実家から出て来て...

1944年3月、中国へ赴く直前の「長嶺八丈開拓団」=一番右側に立っている女の子が当時8歳の著者、その隣に弟を抱いた母(写真・著者提供)
2008.04.19
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(28)「中国人の養子に…」

養母の苛めに遭う 私と弟はこのようにして中国人に連れていかれました。私たちはかなり長時間歩いて、夕方前にやっと沙蘭鎮に到着しました。

著者の母(写真・著者提供)
2008.04.16
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(27)「母との永遠の別れ」

実は、よその家の子供たちはすでに、次々に中国人の家に引き取られていっていました。

著者の一番目の弟・一(写真・著者提供)
2008.04.12
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(26)

第四章 独り暴風雨の洗礼に直面する 母、弟たちとの永遠の別れ 私が孤児になる運命がすぐそこまで近づいていようとは思いもよりませんでした。運命の手が今すぐにも、慈愛...

著者の母(写真・著者提供)
2008.04.06
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(25)「生まれたばかりの弟の死」

11月に入ってから、急に冷え込み始めました。日中の時間も次第に短くなってきました。ソ連軍がしょっちゅう家に押し入ってきて、女性を連れて行くという噂を耳にしました。...

著者の母(写真・著者提供)
2008.03.31
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(24)「中国人家庭へ…」

生まれたばかりの弟の死 すでに十月に入り、次第に冷え込んできました。団長はすでに段取りを済ませ、開拓団全員をひきつれて沙蘭鎮の王家村に帰り、そこで冬越えをしようと...

1944年3月、中国へ赴く直前の「長嶺八丈開拓団」=一番右側に立っている女の子が当時8歳の著者、その隣に弟を抱いた母(写真・著者提供)
2008.03.27
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(23)「伝染病の流行」

伝染病の流行 しかし、この時期、全ての人にとって、さらに恐ろしい災難が降りかかろうとしていました。この頃になると、人々はすでに明らかな栄養失調になり、体力は衰弱し...

著者の母(写真・著者提供)
2008.03.21
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(22)「全財産が……」

しかし、新たな嵐が密かに私たち家族に忍び寄り、私たちのすべてを奪い、家族の運命を決めたのです。

著者の母(写真・著者提供)
2008.03.15
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(21)「収容所での生活」

その日の夜、馬蓮河屯に着きました。そこはとても大きな村で、西には牡丹江から図們(トゥーメン)に行く直通汽車が走っており、南には大きな河・馬蓮河があり、鉄道の東側、...

1944年3月、中国へ赴く直前の「長嶺八丈開拓団」=一番右側に立っている女の子が当時8歳の著者、その隣に弟を抱いた母(写真・著者提供)
2008.03.10
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(20)「再び逃避行」

再び逃避行 今回は山奥の森林地帯を歩きました。大人の人たちが言うには、獣が出没する恐れがあるから、暗い森林の奥に入ってはいけないということで、私たちはしかたなく山...

1944年3月、中国へ赴く直前の「長嶺八丈開拓団」=一番右側に立っている女の子が当時8歳の著者、その隣に弟を抱いた母(写真・著者提供)
2008.03.03
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(19)「終戦」

私たちがここに到着した次の日、雨が降り始めました。雨は激しく強風混じりで、少し肌寒く感じました。幸い、今は家があり、家の中にいれば、どうにか暖かく感じました。

1944年3月、中国へ赴く直前の「長嶺八丈開拓団」=一番右側に立っている女の子が当時8歳の著者、その隣に弟を抱いた母(写真・著者提供)
2008.02.27
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(18)「苦難の逃避行」

日が沈み、周りは暗くなり始めましたが、前方にはまだ何の建物も見えず、至るところ林でした。大隊を率いる人が、今晩早いうちに目的地にたどり着くために、道を急ぐよう、皆...

1944年3月、中国へ赴く直前の「長嶺八丈開拓団」=一番右側に立っている女の子が当時8歳の著者、その隣に弟を抱いた母(写真・著者提供)
2008.02.24
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(17)「苦難の逃避行」

私は左右の手で一人ずつ弟の手を引き、3人で横になって山を一気に下りて行きました。そこにはすでに何人か大隊の人が私たちを待っていました。後ろを振り返ってみると、隊列...

1944年3月、中国へ赴く直前の「長嶺八丈開拓団」=一番右側に立っている女の子が当時8歳の著者、その隣に弟を抱いた母(写真・著者提供)
2008.02.16
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(16)「苦難の逃避行」

そのとき、母は私の頭を軽くなでました。出発するので、お母さんの服をしっかりつかんでおくようにということでした。私は母にぴったりくっついて歩きました。不思議なことに...

1944年3月、中国へ赴く直前の「長嶺八丈開拓団」=一番右側に立っている女の子が当時8歳の著者、その隣に弟を抱いた母(写真・著者提供)
2008.02.10
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(15) 「苦難の逃避行」

苦難の逃避行 父たちが行った後、学校では授業がなくなり、子供たちは外へ出ないようにと言われました。開拓団本部の若い男の人たちはみな前線に送り込まれ、残ったのは、団...

著者の父(写真・著者提供)
2008.02.07
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(14)「父との永遠の別れ」

第三章 嵐の訪れ:父との永遠の別れと苦難の逃避行 父との永遠の別れ 1945年8月、稲妻と雷が激しく交じり合う嵐の夜、風雨がガラス窓を強く叩き、大きい音を立てて響...

1944年3月、中国へ赴く直前の「長嶺八丈開拓団」=一番右側に立っている女の子が当時8歳の著者、その隣に弟を抱いた母(写真・著者提供)
2008.02.04
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(13) 「裏切られた期待」

私たち一家6人の開拓団での生活は、とても簡素で非常に短いものでしたが、私の生涯において非常に特別な意味を持っていました。

著者の母(写真・著者提供)
2008.02.01
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(12) 「裏切られた期待」

開拓団にきてから、自分がだいぶ成長し、多くの事を知るようになったと感じました。そして、両親がとても大変で辛抱していることも理解でき、心から母の手伝いをしたいと思い...

著者の一番目の弟・一(写真・著者提供)
2008.01.29
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(11)「裏切られた期待」

私は次第にそこの生活に慣れました。入学して間もないある日のお昼、食事(昼ごはんは学校が先生と生徒のためにまとめて作ってくれる)が終わってグランドで縄跳び遊びをして...

1944年3月、中国へ赴く直前の「長嶺八丈開拓団」=一番右側に立っている女の子が当時8歳の著者、その隣に弟を抱いた母(写真・著者提供)
2008.01.26
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(10) 「裏切られた期待」

それからしばらく経って学校が始まり、私は毎日小道を通って山の麓にある学校に通うようになりました。 

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