大紀元時報
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文化・歴史

漢字の紐解き 古代中国の物語 歴史人物 古人の知恵
pixabay
2019.06.19
中国版「シンデレラ」の物語

「シンデレラ」のお話は誰もが知っている有名な童話の一つで、2次作品だけでもオペラが12種、バレエが7種、ミュジカルが12種、映画は49種もあります各国でも昔からシ...

(新唐人スクリーンショット)
2019.06.13
数千年前、大洪水は本当にあったのか?

古に大洪水があったという伝説がいろんな民族に伝えられています。例えば ギリシャ、インド、マヤ文明など。また、聖書に記されているノアの箱舟の物語もそうです。

2019.06.07
【漢詩の楽しみ】房兵曹胡馬(房兵曹の胡馬)

詩に云う。この西域産の馬は、大宛の名に恥じぬ名馬である。その馬体は鉾のように鋭く、ひきしまっている。竹をそいだように切れ立った両耳に、風をはらんで走る四つの蹄のな...

イメージ写真 (arachihuang/frickr)
2019.05.15
【漢詩の楽しみ】山中問答(さんちゅうもんどう)

李白(701~762)53歳ごろの作。山中問答とはいうが、要するにそのような設定で詠じた詩なのであって、本当に作者が山中で誰かに会って問答したのではない。

研鑽を積んだ中医・扁鵲には不思議な力があったという(wikipedia)
2019.04.23
名医が施した奇跡の医術

『史記』の「扁鵲列伝」の中にこのような物語があります。扁鵲は若い頃にある官舎の舎長でした。賓客の長桑君はよくその官舎に立ち寄っていました。毎度、扁鵲は長桑君に対し...

揚子江 (Neil Young/flickr)
2019.04.20
【漢詩の楽しみ】金陵圖(金陵の図)

詩に云う。長江に降る春雨は細やかで、岸辺の草はどこまでも同じように広がっている。六朝時代の栄華は夢のごとく消え、今はただ鳥が空しく鳴くのみ。無情の最たるものは、こ...

世界の約3割の人がフォーク、4割が手、残り3割は?(Takashi Mukoda/Wikimedia Commons/CC BY-SA 2.0)
2019.04.20
世界の約3割の人がフォーク、4割が手、残り3割は?

世界の約3割の人がフォーク、4割が手、残り3割は? 答えは、私たち日本人に馴染み深い箸。いつ頃からは箸は使いだされたのだろうか。石器時代にさかのぼるとの説もある。...

『写生珍禽図巻』(五代十国・黄筌 パブリック・ドメイン)
2019.04.17
もっとも美しい下書き 『写生珍禽図巻』

精巧に描かれた24の鳥や昆虫。スズメの親子のさえずりや、今すぐ飛び立ちそうなハチなど、優れた観察眼がうかがえる『写生珍禽図巻』は、五代十国時代(907年―960年...

杭州西湖 (IamBernice/flickr)
2019.04.15
【漢詩の楽しみ】杭州春望(杭州の春望)

望海楼(ぼうかいろう)明らかにして曙霞(しょか)に照らさる。護江提(ごこうてい)白くして晴沙を蹋(ふ)む。涛声、夜入る伍員廟(ごうんびょう)。柳色春蔵す、蘇小の家...

饅頭(マントウ)(新唐人)
2019.04.13
マントウ、由来は「ニセの生首」諸葛孔明のアイデア

中国の蒸しパン「饅頭(マントウ)」は、小麦粉を主食とする本土地域で主に食べられています。日本では、コンビニエンスストアでも売られるお馴染みの中華まん、肉まんは、中...

(Lionel Rich/Wikimedia Commons/CC-BY-SA-2.0)
2019.04.09
他人に畑を荒らされたらどうする?賢人たちの知恵

現代社会では、小さな争いが過激な暴力や殺人にまで至ったというようなニュースが、毎日のように伝えられています。

鑑真第六回渡海図(パブリック・ドメイン)
2019.04.06
渡航に5度失敗し、失明して愛弟子を亡くしても 日本へ律宗を伝えた唐の高僧ー鑑真

紀元742年、唐の高僧・鑑真は第9次遣唐使船で唐を訪れた留学僧・栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)から、日本の朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、日に渡ることを...

不死の妙薬を求めて航海に出る徐福(歌川国芳・パブリック・ドメイン)
2019.04.04
2200年前、日本に農具や五穀を運んだ伝説の人

今から2200年前の秦の時代の中国に、徐福という人物がいました。『史記』によると、徐福は始皇帝から命を受け、幼い子供たち500人を含め総勢3000人の集団を引き連...

『孝経』諌争章(新刊全相成齋孝經直解)(wikimedia)
2019.03.30
中国古典 慎重なふるまいは誠実さに繋がる

曾子(そうし)は、名が参(しん)で、字(あざな)が神輿(しよ)といい、春秋時代の魯国(ろこく・現在の中国山東省南部を指す)の人です。彼は父親の會点と共に孔子の優秀...

漢文帝は母親を介護する(Wikipedia)
2019.03.26
召使いがいても自らタネをまき、母を介護した漢文帝

漢の文帝は劉恒(りゅうこう)と言い、高祖・劉邦(りゅうほう)の三番目の息子です。文帝は在位してから24年の間、徳をもって国を治め、礼儀を重んじて盛んにし、民をわが...

大紀元
2019.03.13
漢字の神秘
【動画】毎週一字(6):禮

禮(れい)は、人のふみ行うべき道。儒教における禮(礼)は、儒教の主要な思想であり、五常(仁・義・礼・智・信)の一つ。

(蔡順・「二十四孝図」より)
2019.03.06
赤い桑の実と黒い桑の実 親孝行

「孝」は儒家の倫理思想の核心であり、長い間中国社会で家庭関係を維持するための道徳基準であった。それは、中華民族の伝統的な美徳であり、中国伝統文化の精髄でもある。元...

(Photo by Sean Gallup/Getty Images)
2019.03.05
食べ物は単に空腹を満たすもの

「空腹は最高のソース」という西洋のことわざがあるが、古代中国でも同じエピソードがある。明代の嘉靖(かせい、1522-1566)年間に大臣を務めた劉氏は、退職すると...

(郭巨・「二十四孝図」より)
2019.03.02
親孝行
母のために子どもを埋める

郭巨は、晋代の隆慮(現在の河南省林県)の人で、裕福な家の生まれであった。父の死後、彼は家の財産を二人の弟に与え、自分は母を引き取り、親孝行を尽くした。

(Photo by Hulton Archive/Getty Images)
2019.02.28
親不孝の報いで、ロバと化す

周抜は明代の浙江省平陽県の人で、幼いときから神童ともてはやされた。彼は、一度目を通した書物はすべて覚えることができ、7歳にして詩を詠み文を作ることができた。16歳...

(Photo by Steve Eason/Hulton Archive/Getty Images)
2019.02.28
<良薬は口に苦し>甘やかしは子を育てない

梁元帝の時代、ある士人がいた。士人は、小さい時から非常な才能に溢れていたため、父親から寵愛を受けたが、良き教育を受けていなかった。士人の言い出す話にちょっとでも理...

(Photo credit should read DIMITAR DILKOFF/AFP/Getty Images)
2019.02.28
孟子に言う  立派な男とは

昔、景春という人が孟子に言った。「公孫衍、張儀こそが真の大丈夫(立派な男)とは言えませんか?二人が一旦怒り出しますと、各国諸侯はびくびくして落ち着かなくなります。...

(Photo credit should read TORSTEN BLACKWOOD/AFP/Getty Images)
2019.02.26
貪らないことを宝とする

宋の時代に、ある人が一つの宝石を手にいれた。彼はこれを斉の大夫・子罕(しかん)に献上しようとしたが、子罕はこれを受け取らなかった。

(Photo by Brendon Thorne/Getty Images)
2019.02.26
60歳の寿命が90歳に

清の時代、崇明という所に黄永爵と呼ぶ人がいた。ある占い師が彼の寿命は60歳だと告げた。ある日、黄氏は南の海上で大風に煽られて今にも転覆しそうな1隻の船を発見した。...

(老菜子:二十四孝図より)
2019.02.25
親孝行
70歳になっても、親の前ではまだ子ども

老菜子(ろうらいし)は、春秋時代の楚国の隠居人で、世の戦乱を避けるため、蒙山の南麓で自ら耕す生活を送っていた。彼は両親に孝順で、おいしいものを選りすぐっては両親に...

兄の劉備を尋ねて千里を駆け抜ける関羽(北京・頤和園の回廊絵画)(Shizhao / Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0 )
2019.02.24
偉大なる男・関羽

中国の歴史上、最も尊敬されている人物に、あの有名な「関羽」が挙げられる。

(公有領域)
2019.02.24
孟子が自分を恥じる

生活様式が床から椅子へ移り変わった中国では、『正座』という習慣が途絶えてしまってから久しいものがあります。しかし、礼儀正しい座り方としての『正座』というものが、か...

(Photo credit should read CHRISTOF STACHE/AFP/Getty Images)
2019.02.23
【子どもの教育に役立つ物語】本物の謙虚さとは

宋の粛王と沈元が使節として北方へ行き、燕山で宿をとった後、言葉使いが非常に優美な3000字ほどの唐の石碑を見つけた。沈元は記憶力が非常にたけていたので、何度も朗誦...

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2019.02.22
「百忍」をもって 一族が九代も同居 

麟徳二年(665年)の冬十月、唐高宗は泰山へ封禅の儀を行いに行く途中、寿張県(中国河南省濮陽市台前県)を通り掛かりました。寿張県には張公藝という長寿の老人が住んで...

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2019.02.21
忍をもって一歩退く
意地の悪い姑に気に入られる 古人のコツ

張晋は明の時代の人で、富貴な家の娘である劉さんを嫁に貰った。張晋の母親は、非常に専横で底意地の悪い人だったので、張家の上三人の息子の嫁はみなこれに我慢できず家を出...

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