【紀元曙光】2020年10月26日

前稿で触れた歴史上の「その時」と、それに連なる「今」を考えている。
▼1909年10月26日、中国清朝のハルピン駅で日本の初代総理・伊藤博文が銃撃により暗殺される。伊藤を襲った朝鮮の民族主義者・安重根(あんじゅうこん)はその場で逮捕。裁判の後、事件から5か月後の翌年3月26日に処刑された。
▼この事件については多くの関連書籍があり、ネット検索でも多数でてくるので詳細は控えたい。ただ、小欄の筆者には、肝心の部分(例えば、安にとっての伊藤を暗殺することの真意など)が正直よく分からないのである。なにより、拳銃を懐に忍ばせて群衆から飛び出した安重根は、目指すべき伊藤博文の顔を知らなかったという。
▼明治の末年ならば、新聞や雑誌に印刷された写真もあろう。忠臣蔵の義士が吉良上野介の顔を知らずに討ち入った元禄時代ではあるまいし、近代のテロリストたるもの、あえて言えば後に韓国第一の「義士」と称揚されるものとして、仇敵の顔も確認せずに突っ込むのは粗忽すぎないか。
▼伊藤の体内に残された銃弾の形状から、どうも安重根のほかに狙撃手がいたらしいが、そのことに言及する紙幅は小欄にない。ここでは現代につながる韓国人の観念としての「安重根」を考えようと思う。反日デモから日韓サッカーの応援の旗、果ては潜水艦の名前にまで安重根を多用するのはいかがなものかと、韓国人のために、日本人の筆者が余計な心配をしてしまうのだ。
▼およそ観念というものは、ひと時の熱狂の後、好ましくない方向へ膨張する。そうではないだろうか、韓国の皆さん。