【紀元曙光】2020年10月14日

チンギス・ハン(成吉思汗)は、今も昔もモンゴル人が敬愛して止まない民族の英雄である。
▼ここでいうモンゴル人とは、現在の国籍や在地に関係なく、その民族のルーツと文化を継ぐ人を指す。中国領内にいても、ロシアにいても、日本で力士になっても彼らはチンギス・ハンの末裔たるモンゴル人であることを誇りとしている。
▼かつてその中心がモンゴル人民共和国という社会主義であった時代には、この大英雄でさえも、ソ連や東欧への侵略者として批判されていた。実のところ、欧州を最も震撼させたのはチンギス・ハンの孫であるバトゥの遠征軍なのだが、「タタールの軛(くびき)」というように、西洋人にとって、モンゴル兵の馬蹄の響きは骨まで染みた恐怖となって続くことになる。
▼時は12世紀から13世紀にかけて、チンギス・ハンは広大な草原に分散していたモンゴルの各部族をその強大な求心力でまとめ、世界で最も騎馬と射技のあざやかな大軍団をつくりあげた。個人技ではなく、機動力を生かした集団戦法に徹するので、とにかく戦闘には強い。
▼西洋の甲冑の騎士も、日本の大鎧の武者も、戦場での作法と自己の名誉にかけて堂々と名乗りを上げ、一騎討ちを挑んだ。ところがモンゴル兵は、そうした奇怪で意味不明な口上を高笑いし、集団で打ちかかってこれを倒すのである。
▼バトゥと同じくチンギス・ハンの孫であるフラグは、イスラム世界へ攻め込んだ。1258年、アッバース朝の首都バグダットを包囲殲滅し、数十万から最大推定で200万人を殺害するという途方もないことをやっている。(次稿へ続く)