【紀元曙光】2020年7月6日

(前稿より続く)次の米ソ冷戦時代が始まっていたとはいえ、原爆の実験台で焼き殺された日本人にとっては、たまったものではない。
▼1945年9月2日、東京湾に入った戦艦ミズーリの艦上で、日本の降伏調印式が行われた。日本中が焼け野原になり、多くの兵士が外地の土に眠った。運よく生きて帰って来た兵隊さんも、手足を欠損するなど心身に深い傷を負っていた。戦後日本が徹底しすぎるほどの平和主義から再出発したのも、それを希求する心情として無理はない。
▼ただ、歴史とは段階的に変遷していくものである。日本にも、そうせねばならない「その時」があった。共産党中国は、過去の日本の所業を呪文のごとく非難するが、日本がチベットやウイグルに対して民族浄化をやったわけではない。戦後の平時において、8千万もの自国民を異常死させた責めは、ひとえに中共が負わねばならないのだ。
▼米国の意図が入った憲法について、今は触れない。日本が平和主義であることを、筆者も概ね是とするが、ただ一点、日本は自省しなければならないだろう。国際社会の「良心」に依存する夢のような平和主義が高じてか、日本は他国にもの言いもせず、人類に多大な不幸をもたらす共産独裁主義国家を黙認してきたことだ。
▼スターリンのソ連、中共、北朝鮮、クメール・ルージュの民主カンプチア。そうした名称を挙げるだけで、無辜の人民の慟哭が聞こえてくるではないか。日本の左翼は、今はどうだか知らないが、なぜか「アメリカ帝国主義!」といって片方だけを非難する。
▼その米国は、今も米国として、この地球上にある。(次稿へ続く)