【紀元曙光】2020年6月4日

1989年6月4日。あれから31年が過ぎた。
▼祖国の民主化を求めて集まった学生たちを、武力で弾圧した六四天安門事件。中国語は「六四」で通じる。流血の大惨事となったのは、3日の深夜から翌未明にかけてであった。
▼民主化要求ではあるが、反腐敗がその根底にある。当時から官僚の腐敗はすさまじかったが、一方で、それを悪とする純朴な正義感も若者たちにはあった。1919年5月4日、対外的な反帝国主義と、自国の旧態に抗議する反封建主義を掲げて、当時の学生が天安門広場に集まった。その「五四運動」の残影が、六四の学生たちに影響したか否かは、分からない。
▼ただ、彼らは、70年前のそれと同じ広場にいた。「小さな共同体」を作り、女神像を製作し、泣きながら絶食抗議も辞さない覚悟で闘おうとした。若さゆえの未熟はあっても、その理想は必ず通じる。悲壮感とともに、彼らはそう信じた。その夜の前までは。
▼彼らに報いられたのは、戦車と銃弾だった。血の海となった北京中心部。中国政府の報道官であった袁木(えんぼく)は、口角に笑みをふくめて「一人も死んでない」と言った。小欄の筆者は、テレビでそれを見たが、その時の嫌悪感を今も忘れていない。
▼事件後、学生たちを待っていたのは密告の強要であった。小さな用紙に「デモに参加した者の名前を書け」という。書かねば進学や就職に響くぞ、という脅迫つきである。六四後は、江沢民の時代。汚れた社会を、狡猾に立ち回る者だけが増殖していった。2020年、香港の若者の無事を祈りながら、彼らを大いに支持する。