大紀元時報

愛の遺産:われわれが残す思い出

2019年09月22日 09時11分
(Shutterstock)
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「死はだれも癒すことのできない心痛を残す。愛はだれも盗むことのできない思い出を残す」ーアイルランドの古い墓跡より

われわれは死を迎えるとき、愛する人たちにありふれた遺産を残すだろう。土地や財産、代々受け継がれた戸棚やアルバム、壊れたおもちゃでいっぱいの屋根裏部屋。貧しい人々や孤独に亡くなる人々を除いて、われわれは身近な人たちに価値あるものやただのごみ、取るに足らないけれど個人的には意味のあるものなど、様々なものを受け渡す。

しかし、われわれが生きる人々に与えられる最も大切な贈り物は思い出である。

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長年にわたって、私は歳を取るごとに自分が意地悪でひねくれた人間になるのではないかと恐れている。そして自分の死後、人々に自分のことを気難しくて不機嫌な奴だったと思い出されることが不安なのだ。私の祖父がそんな男で、彼は人の心に傷を残すような意地悪ばかり言っていた。別の知り合いの男も、自分の妻や他人に対してひどい態度を取っていたものだ。馬鹿げているかもしれないが、この2人のように不満だらけの人間だったと記憶されるのではないかという不安が、私を怖がらせるのだった。

ある朝ベランダでコーヒーを飲んでいると、これに似た不安が再び私を襲った。歳を取ったら自分は頑固なじいさんになるのではないかと思い悩み、憂鬱な気分に陥ってしまった。すると私はある考えに至った。「お前はもう60歳を過ぎた高齢者だが、意地悪になんてなっていないじゃないか」皆さんは笑うかもしれないが、このお告げによってその日の私は喜びと安堵に満たされたのだ。

Free-Photos / Pixabay

もちろん、ほとんどの人がそうであるように、他人に危害を加えたり、取り返しのつかない間違いを犯したことだってある。そのような場合にできることと言えば、過ちから学び、正しい道を模索して、より良い人間になるために努力を重ねることだけである。

だから私の死後、私のことを憎んだり、私のひどい行いを決して忘れずにいる人がいるかもしれない。けれど他人の心の中で不機嫌なじいさんとして生き続けることは決してないだろう。

どうすれば愛する人々、特に若い世代に良い思い出を残すことができるだろうか?どうすれば彼らが慰めを必要とするときに癒しを与え、笑いたいときに笑わせてあげられるような思い出を送ることができるだろうか?

Mabel Amber, still incognito... / Pixabay

世界全体に対するわれわれの態度は、人々の記憶に消すことのできないしるしを残すものだ。われわれは皆、喜びに満ちた人生を分かち合うことのできる先人たちを知っている。そしてまた、コーヒーのように苦く黒い悲壮感にさいなまれた高齢者たちのことも知っている。

関節痛から大切な人を亡くした喪失感まで、われわれが老年の痛みや悲しみに直面したとき、元気の源が減少していることに気づくかもしれない。そんな時こそ仮面をかぶり、人々に暗闇ではなく光を、絶望ではなく希望を与えなければならないのだ。

最後に、われわれは思い出を作る努力を怠ってはならない。子どもたちと遠く離れて暮らしていたとしても、われわれはこの地理的障害を電話やメール、手紙などの手段で乗り越えることができる。思わぬタイミングでプレゼントを送ったっていい。こうした行動が思い出を構築するコミュニケーションにつながるのである。

(大紀元日本ウェブ編集部)

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