飢えた人々の命を救い 徳を積む

中国宋朝の人、倪シャンは、字(あざな)を奏天といい、頭が良く、学術を好みました。またよく節約し、よく喜捨していました。

彼は何回も科挙を受験しましたが受かりませんでした。そんな彼を見てある人が「あなたはよく困っている人を助けたのに、なぜ受からないのでしょう? 天がその事を知らなかったからでしょうか?」と言いました。そのことを聞いて、彼はより一層努力しました。

理宗の時代、紹定四年(紀元1231年)に大飢饉が起き、餓死する人が大勢出ました。倪シャンは飢えた人々にお粥を施して、多くの命を救いました。

翌年、倪シャンが上京して受験した時、「糜粥阴功」(お粥の陰徳)と書かれた旗が、彼の家の門に揚げられているを見た人がいました。そしてその年、倪シャンは科挙の試験に一位の成績で合格したそうです。

(『徳育古監』より)
(明慧ネットより転載)