神仙の物語 仙人に出会い、そこで得た教訓

中国北宋時代、四川の成都府に許という画伯がおり、彼の描く絵は生き生きとして真に迫っていた。許の本名はわからないが、あだ名は「許偏頭(変形頭の許)」ということだけが伝わっている。このあだ名の由来となったこんな話がある。

許は絵画店を開き、絵を売ることを生業としていた。ある日、年頃は40過ぎぐらい、ぼろぼろの服を着て布袋を背負った、見るからに貧しそうな人が絵を描いてもらいに来た。許は彼の風体を一目見るなり「そんなさまを絵にできる訳がないだろう」と笑った。

だがその男は言った。「笑わないで下さい。あなたの画力は相当なものだと聞きましたので、私のことを描いて頂きたいと思い訪ねて来たのです」

そう言いながら布の袋を下ろすと、中から黄道服、鹿の皮のかぶり物、白玉のかんざしなど道士が身につける衣服を取り出した。それらを身につけた後、手で下あごを軽く撫でると、たちまち黒々とした立派なあごひげが現れた。その姿は瞬く間に、並々ならぬ風格を備えた仙人に変わった。

許はその様子を見て大変驚き、自分の目の前にいるのが神仙であることを悟ると、恭しく拝礼をして心から詫びた。「私は俗人ですので、神仙がいらした事に気づきませんでした。誠に申し訳ございません。どうぞ先ほどの無礼をお許し下さい」

仙人は笑って「私の絵を描いたら、その肖像画を店の中に掛けておきなさい。今後、その価値を知る者、買いたいという者が来たら、一幅一千文で売るが良い。代金はこれより高くしてはならぬぞ」と言った。

許が肖像画を描き終えると、感謝を述べないうちに仙人は姿を消した。

許は道士の言いつけ通り、肖像画を店の中に掛けておいた。間もなくある学識のある者がこの絵を見いだし、「これは霊泉県の朱仙人のお姿である」と言った。これを聞くと人々が次から次へとこの絵を買いに訪れ、その数は毎日十数人にも上った。許はこの絵を一枚、また一枚と複製して売り、商売が繁盛して暮らしも豊かになった。

しかし時が経つと許の胸に欲深さが芽生え、仙人の言いつけに背いて、値段を倍の一幅二千文に上げた。

その日の夜、許の夢にあの仙人が現れた。仙人は彼に「代金を高くしてはならぬと言ったであろう。私の言いつけに背くとはなんということだ。お前は運命の中の福には限りがあるということを知らぬのか。このような事をすると罰が当たるぞ!」と言いながら、手で許の左の頬を打った。

次の日の朝、目覚めた許は頭がゆがんでいることに気づいた。こうして彼は「許偏頭(変形頭の許)」と呼ばれるようになった。

許はこの教訓を経て、その後は道士の言葉に背かず、諸事慎み深く過ごした。宋の仁宗の慶歴年間まで生き、八十余りの高齢で世を去った。

(出典『括異志・巻六・許偏頭』)

-正見ネットより転載

(大紀元日本ウェブ編集部)