宇宙という名の花

日本には季節それぞれに合う草花があるように、6月にもふさわしい花がある。
小雨に濡れたアジサイがその代表であるかもしれないが、ハナショウブもまた捨てがたい。漢字では花菖蒲と書く。花とわかっていながら、なぜ頭にハナをつけるのか定かではないが、想像するに「花」を愛でるために野生種であるノハナショウブを品種改良し、磨き上げていったものであるとともに、同音ながら他の意味である「勝負」や「尚武」との別をはっきりさせるためではないかと思う。
もとは野生種であったものを園芸用に改良するには、その時代における愛好の高まりばかりでなく、その一事に力を注いだ人物の存在が不可欠である。
我が国の花菖蒲を語るにあたっては、その晩年に「菖翁」と呼ばれた江戸時代の旗本・松平定朝(まつだいらさだとも1773~1856)を欠かすことはできない。

花菖蒲の系統

日本全国はもとより、今日の東京都内にも花菖蒲の名所は多く存在するが、江戸期からの歴史を継ぐ庭園といえば葛飾区堀切にある堀切菖蒲園が挙げられる。同園の案内パンフレットを適宜参照しながら、以下、概説する。
文化年間(1804~1818)に当地の農民、伊左衛門によって栽培されたのが始まりとされる堀切の花菖蒲は、江戸名所の一つとして知られており、浮世絵師・歌川広重の『名所江戸百景』にも描かれている。この伊左衛門に、自身が育てた花菖蒲の貴重な株を託して栽培させたのが松平定朝であった。
江戸末期の堀切に、小高園、武蔵園などの花菖蒲園が開園。明治期には堀切園、吉野園、観花園などが開園し人々に親しまれていた。ところが、第2次世界大戦中の食糧増産のため堀切の菖蒲園はことごとく水田化され、戦後、復興を果たしたのは堀切園だけだった。
父の影響で幼いころより植物を好んだ松平定朝は、その84年の生涯のほとんどを、江戸花菖蒲の栽培と品種改良に注いだ。長命であり、幸福な人生だったといってよい。
元来、武士といえば武芸の鍛錬を第一とするものだが、おもしろいことに江戸期の武士の教養の一つに、美しい花を栽培する園芸も含まれていた。あえて理由を求めるなら、武士の園芸趣味は単なる愛好ではなく、禅の思想にちかい精神修養の意味もあっただろう。もちろん側面的な理由として、商業的な園芸は、薄録であった下級武士が現金収入を得るための副業にもなっていた。
その武士が好む花のなかに、菊や牡丹、芍薬などとならんで花菖蒲もあった。
九州の熊本県は今日でも武道がさかんな地方の一つだが、そのもととなった肥後熊本藩もまた尚武の土地柄をもち、同時に藩主をはじめ大いに花好きの藩であった。
同藩の第10代藩主・細川斉護(ほそかわなりもり 1804~1860)は、藩士を江戸の松平定朝に弟子入りさせ、門外不出を条件にその花菖蒲を譲り受けた。
これが肥後系として今日の熊本県に伝わるもので、江戸系、伊勢系(三重県松坂市)、長井古種(山形県長井市)の各種とともに、日本の花菖蒲を盛んなものにしている。

菖翁が遺したもの

約60年間に300ちかい花菖蒲の品種をつくり出した松平定朝は「菖翁」と呼ばれ、また自身もそう称した。その菖翁の名著『花菖培養録』は、国立国会図書館デジタルコレクションのものをインターネット上で見ることができる。
パソコンの画面に映る同書のページをめくっていくと、あるところから色鮮やかな花菖蒲の絵図が続く。「雲衣装」「五湖の遊」「霓裳羽衣」「月下の波」など、その品種名とともに、菖翁が手塩にかけて育てた名花を色彩ゆたかな絵で鑑賞するのは、まことに楽しい。
書中、その絵図の最後に、白地に青が目映い、さわやかな花菖蒲があった。
花の種名を「宇宙」という。菖翁が最も称賛した一種だと伝えられている。
読みは、現在の堀切菖蒲園の園内表示は「うちゅう」となっているが、数年前までは「おおぞら」と書かれていた。いずれにしても「宇宙」という花の名前には、花びらのなかに渺茫たる大宇宙を見るようで、なんとも心地よい気持ちにさせられる。
菖翁が、同書の自序に記している花菖蒲の魅力を要約する。「(春先の)萌芽の形状によってその年の花を想像し、夏になって咲きそろう花を眺めていれば長い一日を忘れさせる。秋になり、枯れた葉の姿に名残を思い、冬には、また来る春の新芽を楽しみに待つ」
このような花好き翁の澄みきった心情を、現代の私たちも持ちたいものだと心から思う。
宇宙の変わりない法則のなかにある人類は、時としてそれを忘れ、傲慢になり、自信過剰になり、科学によって生命さえ勝手に作り変えようとするが、果たしてそれは許されることなのか。
一朶の花、ひと片の花弁のなかに、曇りのない澄んだ世界がある。それは新生児のように何も語らないものだが、宇宙から地球上に降りてきたままの姿で人々の前に現れ、圧倒的な美しさで人々の心を引きつけて止まない。
花を美しいと思う感性を、失ってはならない。菖翁が遺してくれたものは、その花とともに、花を宇宙と思える心であったようだ。
(牧)