大紀元時報

偉大なる男・関羽

2019年02月24日 11時16分

中国の歴史上、最も尊敬されている人物に、あの有名な「関羽」が挙げられる。

 関羽に対する崇拝は、三国時代からすでに始まっていた。関羽の死後、魏、呉、蜀の三国は、彼に尊敬の意を表して、孫権は関羽の首を曹操へ送り、曹操は諸侯の礼をもって彼の首を洛陽に、そして、孫権は諸侯の礼をもって彼の胴体を当陽に葬った。蜀漢は成都に、関羽の装束を埋葬するための墓を建立している。庶民の間では「関羽は洛陽を枕にして眠り、その体は当陽に横たわり、魂は故郷に帰幽した」という言い伝えがある。

 歴史上、各王朝も関羽に多くの封号(ほうごう ※1)を贈っている。劉禅は「壮缪侯」の諡号(しごう ※2)を贈り、北宋は「忠恵公」と「義勇武安王」として封じ、明は「聖帝君」、清は「関聖大帝」などの封号を贈った。

 関羽への尊敬は朝廷内にとどまらず、庶民の間にも拡がって行き、特に武術に長けていた人々は関羽を崇拝し、敬意を表していたという。

 「中国5千年の歴史はさておき、三国時代だけでも関羽の武術や知謀、いずれも最高峰とは言えないのに、どうして彼は人々に、尊敬を集める事が出来たのか?」という疑問の声が聞こえてくるが、この疑問に対する答えは、実にシンプルである。「 関羽は男の中の男」だった。この一言に尽きるだろう。

 孟子は「立派な男」の条件に、「富貴も淫する能わず、貧賤も移す能わず、威武も屈する能わず(お金持ちになっても心を乱すことはなく、貧乏になっても行いを変えることはなく、いかなる威勢に面しても志を変えることがない)」と語っていた。歴史上、一つや二つの条件を満たせる人物はいただろう。しかし、「三つの条件」をすべて兼ね備えた人物は歴史上、「関羽」しかいないのではないか。

 関羽は字(あざな)を雲長と言い、河東解良の出身。関羽は、権勢を頼みに人を侮辱した郷里の豪族を殺したため、官吏に追われ5、6年間放浪生活をしていたと言われている。その後、朝廷が義士を招集すると聞いて義士に応募しようとしたところ、劉備と張飛に出会い、意気投合した3人は桃園にて義兄弟の堅い契りを結ぶ。3人は「心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずる」の誓いを果たすため、劉、張、関は兄弟のように仲睦まじく、裸一貫から出発した。各地を転戦しながら、世の中の苦難を嘗め尽くし、戦い続けた彼らの心には、いつも「貧賤も移す能わず」(注釈1)の言葉があった。

 2人の兄嫁を守るため、同時に離散した兄弟を探す機会を待つために、関羽は曹操のもとに身を寄せる。曹操は関羽を重用し、前官礼遇(ぜんかんれいぐう ※3) を与え、数日ごとに大・小の宴席を設け、関羽は曹操から、多くの褒美や美女を賜っていた。関羽はこれらの賜り物に少しも心動かされることなく、美女に兄嫁の世話をさせ、贈られた財宝を密かに隠しながら、曹操から授けられた錦の長衣を身につけて、その上に劉備からもらった古い長衣を羽織り、自らの義の心を表した。関羽は劉備の居場所を知った後、直ちに曹操からの様々な贈り物に封をして、五つの関所を突破し、6人の将軍を斬り倒しながら、兄の劉備を尋ねて千里を駆け抜ける。関羽は袁紹の将軍・顔良、文丑を殺害。しかし、劉備が袁紹のところにいると知り、関羽は危険を恐れず、毅然として2人の兄嫁を守りながら劉備を尋ねた。まさに「富貴も淫する能わず」(注釈2)である。

 董卓の将軍・華雄は同盟軍の数人の将軍を斬り倒すほどの強い男だった。各諸侯の将軍たちは誰もが華雄を恐れていたが、関羽は勇敢に立ち向かい、見事に華雄を討ち取った。「襄陽城と樊城の戦い」で、関羽は敵の7つの軍勢を水没させ、曹操の武将・于禁を捕らえ、武将・庞德を斬り倒し、その威名は中国全土を震撼させた。その後、関羽は東呉に奇襲されてしまい、呉と魏からの挟撃を受けて麦城に敗走。捕虜になった後も、関羽親子は従容(しょうよう ※4)として死に臨み、最後まで男の気概を見せた。「威武も屈する能わず」(注釈3)誠に見事である。

 100年余り続いた三国の世の歴史は、主に「義」を演繹(えんえき ※5)していた。庶民の間では、関羽について言及すると自然に「義理が高く、高空まで迫る」という言葉が口をついて出る。

 しかし、関羽にも欠点はあった。それは、傲慢な性格である。彼は傲慢さから敵を軽視し、荊州を失い、自らも捕らえられ命を落としている。これらの失敗について、人々の関羽に対する尊敬の念に影響はない。「麦城に敗走する」の一節を読むとき、人々は思わず扼腕(やくわん ※6)して深いため息をつきながら関羽に同情し、「完全無欠な人はいないのだ。彼の長所は欠点に勝るのだ」と語る。

 どんなに時代(とき)が流れようと、偉大な男・関羽の精神は中国人の心の中で、今日も明日も生き続けている。

 注釈1:どのような貧賤(ひんせん・貧乏で、身分が低いこと)の苦しみで責められようと志操(しそう・堅く守っている主義。動かぬ志)を変えさせることはできないということ。

 注釈2:どのような富貴(ふうき・富もあり地位や身分も高いこと)をもってしても心をまどわすことはできないこと。

 注釈3:権力や暴力でおどされても屈服しないこと。

※1 授与する爵位であり称号。

※2 貴人や高徳の人に死後おくる名前。おくり名。

※3 退官後も在官時と同じ待遇を与えること。

※4 危急の場合にも、慌てて騒いだり焦ったりしないさま。

※5 一つの事柄から他の事柄へ押しひろめて述べること。

※6 はがゆがったり、憤ったりして、自分の腕を握り締めること。

(原文・古玉明 / 翻訳編集・李誠慶)※看中国から転載

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