貞観政要

唐太宗 小さなことを疎かにしない 大事はいつも小事から

中国史上でも最も栄えた時代の一つ、時代。その中でも唐太宗は中国史上、屈指の名君として知られ、為政者として自らを厳しく律して政治にあたり、太宗の治世は「貞観の治」と呼ばれ中国史上最も良く国内が治まった時代とされている。

貞観政要』は唐太宗と太宗を補佐した名臣との政治問答集で、日本でも徳川家康が非常に愛好していたのをはじめ、数々の為政者が『貞観政要』から為政者はどうあるべきかを学んでいる。

唐太宗 小さなことを疎かにしない

貞観六年、太宗は侍臣に言った。

「論語の中で孔子は、『国が危難に陥って滅びそうだというのに、だれも君主を支え助けようとしない。これでは何のために重臣がいるのかわからない』と言っている。なるほど、君臣の義とは、君主に過ちがあればそれを正すことであろう」

書を読んでいたとき、夏の桀王が、王の乱倫を諫(いさ)めた関竜逢(グァンロンフェン)を殺したところや、漢の景帝が、反乱鎮圧を口実に晁錯(チャォツォ)を誅殺(ちゅうさつ・罪ある者を殺すこと)したところにくると、私はいつも書をおき、嘆息せずにはいられなかった。 お前たちは余計な忖度(そんたく)などせず、正しいと思うところを言い、私の政治の誤りを正してほしい。 私はお前たちをみだりに罰したりはしない。

また朝から政務にあたりさまざまな決定を行っていると、私は法にそむく者がいることに気づく、お前たちはこれらのことを小さいこととして何も言わないのだが、およそ天下の大事は皆このような小さいことから起こるものだ。小さいことだといって放って置くと、大事が起こった時には、もうどうすることもできない。国家が傾くのは皆これが原因である。

隋の煬帝は暴虐であったが、何ほどでもないそんな者の手にかかって殺された。それなのに天下の民の誰からも嘆き悲しむ声は聞こえなかった。お前たちが私のために煬帝の滅亡のことを考え、率直に私の誤りを正し、私も忠義の士、関竜逢や晁錯が誅殺されたことを忘れず、お前たちの諫言(かんげん・目上の人の非をいさめること)に耳を傾け、君臣ともにそれをまっとうすれば、とても素晴らしいことではないか。

(大道進)