アングル:築地市場、83年の歴史に幕 残る豊洲移転反対の声

2018/10/09 更新: 2018/10/09

[東京 9日 ロイター] – 東京・築地市場が6日、日本の食を支えてきた83年の歴史に幕を下ろした。移転先の豊洲市場は11日に開場する。ロイターは、移転直前の築地市場を取材し、そこで働く人々から移転に対する多くの不満の声を聞き、最後の築地市場の様子を写真と映像で記録した。

仲卸業者の1人、新井誉子氏(45)にとって、築地の最初の思い出は、迷路のように広がる魚市場で、夏休みに兄と遊んだことだ。そこで魚の仲卸業を家族で営み、サバやキハダマグロなどを売っていた。

新井氏を含む数百の仲卸業者は、5691億円をかけて新築された豊洲市場への移転に向け、気の進まないままに準備を進めていた。「今は複雑な気持ち。とにかく失うものが大きい。ここで育ったんですよ。築地を離れることによって、失われるものってすごくあると思う」と新井氏は話した。

市場では、店舗や倉庫がひしめきあい、魚と氷をつめた箱を積んだターレーが忙しく走り回る。しかし、行政は老朽化し、衛生状態が良くないと指摘する。

業者の多くは、住居もあるこの場所に残りたいと考えている。豊洲市場の土壌汚染に対する懸念もあるし、交通の便が悪いこともある。

3月末に「築地女将さん会」が築地の仲卸業者を対象に行ったアンケート調査では、移転計画を中止、または凍結すべきとの回答が70%超に上った。

豊洲移転を先送りするための最後の手段として、築地で働く仲卸業者ら56人が9月に、豊洲市場の安全性が確保されていないとして、移転差し止めの仮処分を東京地裁に申し立てた。同時に移転差し止めを求める訴えも起こした。

豊洲市場での業務は11日に始まるが、顧客が来るかどうか不安は大きい。

仲卸業を95年にわたって家業として受け継いできた新井氏は「お客さんによってはもう、7月時点で別の市場から買うって言っている人もいる。不便だからね。だけど、それについては、何とも言えませんよね。相手も商売やっているわけだし、お店やっている人たちは皆さん、安定してお魚が出せるようにしなきゃいけないし」と語った。

移転に伴ない、冷凍庫や冷蔵庫の買い替えで数百万から、業者によっては数千万円の出費がかかることも気がかりだ。

9月末の日曜日、約300人の業者と支援者が、築地で移転に対する抗議行動を行った。「豊洲、ノー、ノー、ノー」と叫び「築地市場を壊さないで」「移転反対」などと書かれた看板を掲げていた。市場を見学に来た観光客の一部も、この集会に加わった。

株式会社喜代村の木村清社長は「せっかく築地のブランドを有名にしたのに、築地をつぶすことをやっている」とロイターに話した。

木村社長は、17年前に築地で「すしざんまい」1号店をオープンさせ、観光客を呼び込んで市場の活性化に取り組んだ。正月に初競りでマグロを高額で落とすことでも知られる。2013年にはマグロ1匹、1億5540万円の史上最高値で競り落とした。

「情がない。人間が生きているということを忘れている、行政が」。築地市場の歴史を振り返り、木村社長は声を詰まらせた。

<築地最後の日々>

市場移転の話は17年前に決められたが、その後何度も延期されている。2016年には、昔ガス工場のあった豊洲の土壌と地下水から、環境基準を大幅に上回る有害物質が検出された。

東京都は安全対策に追加で38億円をかけ、地下水の対応をしている。

専門家会議が7月に豊洲の安全性を確認し、小池百合子東京都知事が安全宣言を行った。しかし、まだ不安を訴える業者は多い。

東京都によると、築地は長年、都民の生活を活気ある市場で支えてきたが、その伝統を、新たな場所でより良い衛生状態のもとで継続することが重要だという。

築地市場の跡地は、2020年の東京五輪のための駐車場として使われ、その後、観光施設となるなど様々な検討がされている。

築地市場は、診療所、銀行、図書館や店舗がそろった、それ自体が1つの町のような存在。そこでは多いときには毎日4万人もの従業員や観光客が行き来していた。

毎日、日本中の港から集まった魚介類や野菜を、人々が荷おろしし、仕分けし、パックして並べてきた。早朝の競りでは、手の指のサインで売買が行われる。

移転差し止め裁判の原告の1人で、マグロ専門店に勤める天野幸治氏は17歳の時から市場で働き始めた。現在47歳、2人の兄弟と一緒に市場で働いている。

日本刀のような長い包丁でマグロを解体しながら、天野氏は、築地の将来についてあきらめたようにこう言った。「もう舵切っちゃってて、移転させるつもりだからしょうがない」。

*写真と映像を追加します。

 

(斎藤真理 翻訳:宮崎亜巳 編集:田巻一彦)

Reuters
関連特集: 国際