「割に合わない」中国ミャンマー間の石油パイプライン 稼働の裏で(2)

2017/04/21 更新: 2017/04/21
この記事は、「割に合わない」中国ミャンマー間の石油パイプライン 稼働の裏で(1)のつづきです。

中国「一帯一路」経済圏構想を進める習近平氏は4月、北京に招いたミャンマーのティン・チョー大統領と、2年間棚上げしていたミャンマーの石油パイプラインを稼働させることに合意した。初の首脳会談の成果とみられたが、実は別の目的もあった。

3月上旬、中国の「両会」(国会に相当)が開催されていた最中に、中国と国境を接するミャンマーのコ―カン自治区(漢民族が集住する中国語圏地域)でミャンマー政府軍とミャンマー民族民主同盟軍(以下、コ―カン同盟軍)との間で武力衝突が勃発。7000人の難民が中国雲南省南傘地域に逃げ込んだ。この戦闘ではミサイルが南傘鎮を「誤爆」して、民間人の死傷者を出した。

江沢民派によるもの?ミャンマー軍事衝突

習政権はこの予期しなかった軍事衝突に怒り、コ―カン同盟軍に対して、自主的に停戦を宣言するよう直接要求した。さらに、コ―カン同盟軍が援助資金を受け取るために中国農業銀行に開いていた口座の1つを凍結。3月末にはコ―カン自治区にほど近い雲南省南傘地域に軍隊を集め、演習を行った。

習主席がティン・チョー大統領を中国に招いたのは、この軍事衝突が起きた後だった。この軍事衝突が起きた当時、中国をめぐる情勢は複雑だった。

大紀元メディアグループのラジオ「希望の声」の分析によると、この当時は▼北朝鮮の挑発的な言動を繰り返し、▼韓国のTHAADシステム配備について、中共宣伝メディアが国内の愛国心をあおり韓国との経済関係を悪化させ、▼中国共産党序列3位の張徳江が「中国は香港特別行政区行政長官選挙に介入する権利がある」と発言して香港情勢を撹乱していた。これらの動乱の背後にいずれも江派勢力の影が見え隠れている。

ミャンマー国内の武装勢力 江沢民派から巨額の資金援助

ミャンマーのコ―カン自治区ではミャンマー政府軍とミャンマー民族民主同盟軍との武力衝突がしばしば勃発。
写真は2015年、ボランティアにより難民に支援品の衣類が投げ渡される(Ye Aung Thu/AFP/Getty Images)
 

これより前に明らかにされた周永康と薄熙来のクーデター計画では、その失敗に備えて、彼らが3つの退却ルートを準備していたことが分かっている。

1つは、成都軍区が掌握する西南地区からミャンマーに逃れる「薄熙来ルート」、2つ目は遼寧省瀋陽軍区が掌握する東北地区から北朝鮮に逃れる「徐才厚ルート」、3つ目は甘粛省蘭州軍区が掌握する新疆ウイグル自治区から中央アジア又はパキスタンに逃れるという「郭伯雄ルート」だ。このことから、雲南=ミャンマールートは江派の勢力範囲にあったということが分かる。

「江沢民派が政治的陰謀、クーデターを画策」習政権、元日に批判

習近平氏の敵対勢力・江沢民派の薄熙来が掌握していた第14集団軍のかつての駐屯地は雲南省で、ミャンマー国内の武装勢力の多くは、江派から巨額の資金援助を受けていた。このことから、コ―カン自治区の軍事衝突は単なるミャンマー国内の内紛ではなく、習政権の運営を妨害するために江派勢力がミャンマー国内で故意に起こしたものと考えられる。

19大前に万全を期す ミャンマー新政権やスーチー氏との関係良好へ

習主席は、国内では反腐敗運動を通じて雲南省や四川省の主要人事の腐敗官僚を一掃しながら、軍隊全体の改革も徹底した。同時にミャンマー新政権やアウンサン・スーチー氏らと外交関係を樹立して中国南部における国境政策の地固めを行った。

今回ティン・チョー大統領を早々と中国に招待したのは、2017年秋に予定される、中国政府の今後5年間の重要人事が決定する中国共産党第19回全国代表大会(19大)が開催される前に、再度ミャンマーとの関係を良好にしておきたいという習主席の思惑がある。

中国指導部の人事再編という重要事項を控えているこの時期に、ミャンマーとの国境紛争などといった不測の事態が起こらないよう、万全の体制を敷くことを念頭に置いているからとみられる。

こうした政策が功を奏し、ミャンマー政府は、外相を兼任するアウンサン・スーチー国家顧問が、今年5月に北京で開催される「一帯一路」サミットに参加することを決定したと発表している。

(翻訳編集・島津彰浩)

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