修行の極み 心が動じない白隠禅師

白隠慧鶴(はくいん えかく)は江戸時代に生まれた禅僧で、芸術家作家でもある。人々に白隠禅師(はくいん ぜんし)と呼ばれていた。臨済宗の中興の祖、「五百年に一度の大徳の士」と称されるほどの日本仏教史上では、偉大なる禅師である。

白隠禅師にまつわるエピソードの中で、次の話があった。白隠禅師は托鉢をしてある家の前にたどり着いたが、家の主人は彼を門前払いした。しかし、彼は修行の問題を考えることにふけていたため、主人の拒否に気付かず、家を離れず門の前でボーと立ち続けていた。それを見た主人は怒り心頭し、箒を手に取って勢いよく彼を殴った。白隠禅師はその場で失神して倒れたそうだ。

また、ある時、布生地の商売をする家の娘が未婚で身ごもった。面目ないと感じた両親は娘を問い詰めた。娘は彼氏をかばおうとして「白隠禅師とできた子だ」と父親が最も尊敬する白隠禅師の名を使った。

怒った両親は娘を連れて白隠禅師に会いに行き、白隠は「そうですか」と淡々と答えた。

そして、赤ちゃんが生まれてすぐに、娘の父親が赤ちゃんを白隠禅師に「お前の子だ。お前に返す」と子どもを置き去りした。噂が広まり、白隠禅師は偽善者だ、嘘つきの狼だなどと非難され、名声は地に落ちてしまった。

一年経って、良心が咎めた娘はもうこれ以上我慢できなくなり、親に真実を明かした。後悔した両親は家族全員を連れて白隠禅師を訪ねてお詫びをした。白隠禅師は「そうですか」と淡々と答えた。そして、育てた子どもを娘に渡した。

白隠禅師が経験したことは苦痛の一連だった。これが“修行”または“修練”であろう。決して「悟り」の二文字で概括できるものではないのだ。また、ちょっとした考え違いで、重大な事態を招く元になるというのも、これと同じことを指すのであろう。

 

(翻訳編集・豊山)